子どもたちに戻ってこいと言えなかったまち石川県珠洲市。 芸術祭で住民に芽生えた地域への誇りと愛着
2022-02-10 08:00:00
炭火を囲む大人たち

「奥能登国際芸術祭」は、能登半島の最先端に位置する石川県珠洲市で開催され、「さいはての芸術祭」ともよばれています。国内外のアーティストが珠洲市に招かれ、空き家や廃校、海岸などを利用して、地域の人たちと一緒に地域の文化や魅力を作品として表現。それらの作品を鑑賞するため、市には多くの人が訪れます。

地元を誇りに思えなかった地域の人たちは、外の視点によって地元の魅力を再認識し、芸術祭を訪れた人は、作品や地域の人たちとの交流のなかで奥能登の風土にふれ、関係人口になっていきました。この取り組みをきっかけに、珠洲市はいま大きく変わろうとしています。

ここには何もない。子どもたちに戻ってこいと言えないまち

能登半島の最先端に位置する石川県珠洲市は、三方を日本海に囲まれ、山と海が共存する自然の豊かさが特徴です。金沢市から車で2時間以上の距離で、子どもたちは高校を卒業すると進学のため金沢市をはじめ、市外へ出て行き、そのまま就職し戻ってこない傾向にあります。

「『珠洲はなーんにもない。就職するところもないから戻ってこなくていいよ』。そんな空気も親世代の間にはありました」。奥能登国際芸術祭を推進してきた市職員の水上昌子さんは、これまでの市の様子を振り返ってそう話します。

珠洲市の人口減少は深刻で、2000年には約2万人だった人口が、2040年には約7,200人にまで落ち込むと推計されています。移住・定住へつながる関係人口を増やそうと市が頭を悩ませるなか、まずは外の人たちに地域の魅力を知ってもらおうと、地元の商工会を中心に話が持ち上がったのが芸術祭の開催でした。

芸術祭の開催で地域の人たちに起こった変化

初めて芸術祭の話を聞いたときは、本当にアートで地域が変わるのか半信半疑だったという水上さん。地域の人たちも遠巻きに様子を伺っており、積極的に参加する人は多くなかったそうです。

しかし、2017年に第1回目、2021年に第2回目の奥能登国際芸術祭を開催するなかで、地域の人たちの意識に変化が起こっていきます。「はじめは住民の方々のボランティアは半日交代と決めていたのに、皆さん交代せずにずっといるんです。普段若い人と交流する機会がほとんどないので、若い人がたくさん来て、会話をするのをとても楽しんでいらっしゃるようでした」。
お年寄りと談笑する若者

「作品は孫みたいなもの」。住民に芽生えた地域への誇りと愛着

アーティストとの交流も地域の人たちの意識を変えていきました。外の視点で奥能登の風土や歴史と向き合うアーティストと一緒に作品をつくり上げる過程は、地域の人たちにとって、自分たちが住む珠洲市の魅力に気付くきっかけになっていきました。

「『こんなゴミのようなものばっかり申し訳ない…』。そう言いながら作品づくりのために民具を寄付してくださった地域の方々が、作品として生まれ変わった様子を見て、涙ぐみながら民具の思い出を家族で語ってくださったという話を聞いています」と、水上さん。

「この作品は自分の孫みたいなものだから大切に育てたい」。芸術祭に関わったある住民は、アーティストと一緒につくり上げた作品への愛着をこう語ったといいます。これまで「何もない」と自信がもてなかった地元が、外の人の視点で市の魅力を再認識し、誇りと愛着がもてる地元へと変わっていったのです。
遠くをみつめる女性 色々な品物が並ぶ棚 様々な作品が並ぶ室内の様子

来た人がアートを通して地域に深く関わり合うように

芸術祭を訪れた人は、作品やその作品を説明してくれる地域の人たちとの交流を通して、奥能登の風土にふれることができます。「芸術祭に来られる方は珠洲の文化や人との交流を楽しみにして来てくれるから、深いつながりになりやすいんだと思います」と、水上さんは言います。
集合写真
現在珠洲市では移住の問い合わせが芸術祭の開催以前より何倍にも増え、今年度の上半期は転出者よりも転入者が増えています。ゲストハウスや飲食店を開く移住者もいて、そうした移住者が新たに人を呼び込んで関係人口を生み出す好循環も生まれ始めているそうです。

奥能登国際芸術祭は2023年に第3回目を開催予定。「ウチの地域にはこんな“立派な”空き家があるから、ぜひ使って」。開催準備中、そんな声が地域の人たちから寄せられるようになったと水上さんはうれしそうに語ります。地域の人たちにとって、もう珠洲市は「何もない」ところではなくなっているのです。
拳をつきあげる子供たちの集合写真