【注目プロジェクト】国家規模のプロジェクトに過疎のまちが挑戦~北海道三笠市~
2021-12-17 08:00:00
奔別(ぽんべつ)炭鉱

世界規模で脱炭素の動きが加速するなか、地域資源を生かしたカーボンフリーエネルギーの産出に取り組む自治体があります。北海道三笠市。かつて炭鉱で栄えた、人口約8000人の過疎のまちのプロジェクトは、ヤフー株式会社から1億円の寄付を獲得したことでも話題になりました。10年にわたる取り組みの足跡と今後の展望を伺いに、プロジェクトの担当者を訪ねました。

CO₂フリー水素による地方創生を推進します! 三笠市未利用エネルギー活用事業

地域資源を活用した「まちおこし」。プロジェクトはそこから始まりました

中原参事(=中央)、音羽政策推進課長(=右)、菅政策推進係主事(=左)
今回、話をお聞きしたのは、プロジェクトを推進する三笠市企画財政部の中原参事(=中央)、音羽政策推進課長(=右)、菅政策推進係主事(=左)の3名です。

「三笠市は石炭が発見されたことで生まれたまち。その時その時のエネルギー事情に翻弄されて浮き沈みを繰り返してきたといえます」と、プロジェクトを牽引する中原参事が語り始めました。「石炭産業の衰退で人口減少が加速するなか、地方創生の中心に据えたのが地域資源です。三笠市にあるものを活用して教育や観光振興、ジオパークの整備などを進めてきましたが、そのなかのひとつが地下に眠る石炭でした」。

いまの市長が副市長だったころから石炭を活用して何かをしたいという思いがあったという中原参事。平成23年(2011)、室蘭工業大学による石炭を利用したガス化の研究を目にしたことで、市から大学にアプローチしたといいます。ここに2者による石炭の地下ガス化の共同研究がスタートし、実験室レベルでの研究が始まりました。

フィールド実験の成功を経て、プロジェクトは次のステージへ

当初の取り組みで重きを置いていたのは、UCG(石炭地下ガス化)です。これは、地下で石炭を加熱して可燃性ガスを生産するというもので、このガスを使って発電することを想定していました。
三笠市「室蘭工業大学三笠未利用石炭エネルギー研究施設」
実験は、三笠市内にある「室蘭工業大学三笠未利用石炭エネルギー研究施設」(=写真)などで行われていましたが、平成29年(2017)に市内幾春別地区の道有林で、地中の石炭層からUCGによるガスを回収することに成功します。ようやくたどり着いたフィールド実験の成功でしたが、このころ大きな問題が浮上してきました。脱炭素の動きです。

世界的に脱炭素が叫ばれるなか石炭への風当たりは強くなり、プロジェクトは方向の修正を迫られることになります。「石炭や石油など、化石燃料を使ったエネルギー開発は難しい時代になっていました。ちょうどそのころ、新しいエネルギーとして注目され始めたのが水素です。そこで、UCGから水素を取り出す方向に転換し、同時に水素製造時に発生する二酸化炭素の処理もプロジェクトに組み込みました」と中原参事。

こうしてたどり着いたのが、いま取り組んでいるH-UCG(ハイブリッドUCG)です。まず、石炭と木質バイオマス(木材に由来する再生可能な資源)なども活用することで二酸化炭素排出量そのものを減らします。そして、水素製造時に発生した二酸化炭素は、農業やドライアイス製造などに積極的に利用し、余剰分はカーボンリサイクルや地下貯留を行います。これら一連の過程を経ることで、事業全体での二酸化炭素排出量実質ゼロを目指すというものです。

「三笠市版ゼロカーボン北海道」の追求に向けて

「脱炭素の動きが加速するにつれて注目度も上がってきたように感じます」と中原参事が話すように、このころから事業は大きな飛躍のときを迎えます。まず、令和元年度(2019)には水素利活用事業が成立する可能性が高い地域として、北海道より水素ビジネスの「地域密着モデル地域」に選定されました。そして令和3年(2021)に、ヤフー株式会社からCO2貯留研究事業に対する寄付金を受領しました。

2021年12月にはNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)のFS事業(実行可能性調査)への採択が決まり、水素製造の調査が始まることになりました。この調査によって、産炭地における水素利活用モデルが構築される見込みです。
中原参事
三笠市が考える未来は、地域資源である石炭を利用して、二酸化炭素を排出することなく地域内でエネルギーを循環させることです。「三笠市で事業化できれば、周辺の産炭地にも広がっていくはず。災害が多く発生している今日では、各自治体が補助エネルギーをもつのは大きな安心につながります。また、二酸化炭素をまちで処理できるようになれば、二酸化炭素を排出せざるを得ない企業の誘致につながる可能性もあります。このプロジェクトの成功は、三笠市を含む産炭地の希望の光となる可能性が充分にあると思っています」。

さびれたまちに光を。10年かけて育んできたプロジェクトに未来を託す

わずかな予算からスタートした過疎のまちの取り組みは、いま大きく羽ばたこうとしています。「とはいえ、石炭を利用するということ自体、世間の目が厳しいというのが現状です。石炭利用は、二酸化炭素の貯留技術が確立してはじめて成り立つものだと考えています。また、水素の製造事業にしても、実証実験を行うまでは事業として成立するかどうかもわかりません」と、中原参事は決して楽観視はしていません。

その一方で「水素は、いまのところ自動車の燃料として注目されていますが、技術が進歩するにつれて新しい利用法が出てくるはず。仮にいま採算が合わなくても、将来使える可能性は充分にあります。いま我々がやるべきことは、そのときのために技術をしっかりと確立しておくことだと思っています」と、年々変化する技術の進歩に大きな期待を寄せています。
中原参事(=中央)、音羽政策推進課長(=右)、菅政策推進係主事(=左)
今後想定される大規模な実証実験に向けて、「まだまだ多くの支援が必要」と話す中原参事。

「石炭を利用する事業への風当たりは強く、寄付をお願いするのが難しいことは重々承知しています。しかし、我々のプロジェクトには様々な技術が絡み合っています。例えば二酸化炭素の地下貯留や木質バイオマスなど、事業を指定することで支援を検討いただければ。ピンポイントで応援していただけるだけでも我々は一歩ずつ前に進んでいけます」。

中原参事は、力強い言葉で締めくくってくれました。

【北海道・三笠市】未利用エネルギー研究事業

炭鉱とともに歩んだまち、三笠市を知る

展示の様子
三笠市の歴史は、明治元年(1868)に、幌内で石炭の炭層の露出面が発見されたことに始まります。明治12年(1879)に幌内炭鉱が開坑したことで人の往来が盛んになり、明治15年(1882)には市来知(いちきしり)村が開村しました。三笠市の誕生です。

同年6月に、北海道開拓を目的として空知集治監(現在の刑務所)が設置され、11月には幌内炭坑から掘り出された石炭を輸送するための鉄道が幌内と手宮(小樽)間に開通しました。北海道で最初の、全国では3番目の鉄道です。明治19年(1886)には幾春別炭鉱が開坑し、以後石炭のまちとして栄えてきました。

しかし、昭和46年(1971)、かつては東洋一と評された奔別(ぽんべつ)炭鉱(=トップ画像)が、平成元年(1989)には幌内炭鉱が閉山し、人口は減少の一途をたどっています。一時は6万3000人以上を数えた人口もいまでは8000人を下回っています。

市内からはアンモナイトや、国の天然記念物に指定されたエゾミカサリュウなどの化石が発見されたことで、アンモナイト化石のまちとしても注目を集めています。炭鉱の資料や周辺で発見されたアンモナイトは、三笠市立博物館で見ることができます。
アンモナイト化石展示(三笠市立博物館)