京都と琵琶湖と未来をつなぐ~日本遺産・琵琶湖疏水 観光船延伸プロジェクト~京都府 | 京都市

京都府 京都市のプロジェクト概要

伝統と革新が結びつき、千年の都として栄えてきた京都。イノベーティブな企業が生まれ、先端科学が日々研究されています。その発展には、「琵琶湖疏水(びわこそすい)」という人工の運河が大きな役割を果たしたのをご存知でしょうか? 今でも京都市の水道原水の99%を琵琶湖から供給し、その産業や生活を支え続けている琵琶湖疏水が完成したのは、明治23(1890)年のことでした。 日本が新しい時代へと踏み出した明治初期。天皇が京都から東京へと住まいを移し、これに伴って多くの市民が東京へ。その結果、京都の人口は激減し、産業も大きく衰退しました。また幕末の動乱(禁門の変で市内の2/3が消失)の影響も大きく、「狐狸(こり)の棲み処(きつねやタヌキが住むような寂しいところ)」と揶揄されるほど、京都は存亡の危機に陥りました。 活気を失った京都に再び輝きを取り戻そうと造られたのが、琵琶湖の水を京都へと運ぶ「琵琶湖疏水」。「疏水」とは、灌漑や舟運、発電などのために、水源から土地を切り開いて造られた人工の水路のことです。現在の琵琶湖疏水は、「第一疏水」、「第二疏水」、「疏水分線」の3つからなり、全長約30kmにものぼります。 当時の京都府知事・北垣国道は、府の年間予算の約2倍もの巨額な事業費をかけ、約5年の歳月と、延べ400万人もの工事従事者の血と汗のにじむ努力と共に、未来の京都のため、このプロジェクトを断行したのでした。水の流れをゆるやかにするため、約8kmの行程で高低差わずか4mという緻密な工事。当時日本最長だった全長約2.4kmのトンネルの掘削も、ほぼ原始的な工具と人力によって進められました。この難工事の責任者として北垣が任命したのは、工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業したばかり、弱冠21歳の青年、田邉朔郎でした。彼は、大学で学んだ当時最新の西洋の土木技術を活用し、プロジェクトを成功に導きました。外国人技師の見識、技術に頼ることが多かった明治時代に、日本人だけで成し遂げた初の一大プロジェクトは、京都のみならず日本中に自信と勇気を与えたことでしょう。 この疏水は灌漑、防火、舟運等に利用されたほか、京都・蹴上(けあげ)に日本最初の事業用水力発電所が設置され、水の力で発電した電気が京都の家々に明りを灯しました。さらにはこの電気によって市電が走り、工場が稼働し、様々な産業が発展する契機になりました。こうして琵琶湖疏水は京都のみならず、日本の産業・経済を発展させる礎を築き、今に続く未来を創ったのです。

京都府 京都市への寄付で得られるベネフィット

10万円コース(琵琶湖疏水)

・びわ湖疏水船HPに企業名を掲載いたします。 ・琵琶湖疏水記念館に芳名板を掲出いたします。

50万円コース(琵琶湖疏水)

・びわ湖疏水船HPに企業名を掲載いたします。 ・琵琶湖疏水記念館に芳名板を掲出いたします。

100万円コース(琵琶湖疏水)

・寄付受納式を開催いたします。 ・びわ湖疏水船HPに企業名を掲載いたします。 ・琵琶湖疏水記念館に芳名板を掲出いたします。

200万円コース(琵琶湖疏水)

・社員研修会の実施 ※日程は応相談 (びわ湖疏水船貸切乗船(※日程及び人数は応相談)/蹴上周辺ガイドツアー) ・びわ湖疏水船HPに企業名を掲載いたします。 ・琵琶湖疏水記念館に芳名板を掲出いたします。

300万円コース(琵琶湖疏水)

・疏水散策マップ等での企業PR(掲載場所・様式については要相談) ・びわ湖疏水船HPに企業名を掲載いたします。 ・琵琶湖疏水記念館に芳名板を掲出いたします。

日本遺産 琵琶湖疏水(びわこそすい)

船によって物資が盛んに運搬され、産業の振興に大きく貢献した琵琶湖疏水の舟運は、鉄道や自動車による物流の発達という時代の変化に伴い、1951年を最後に途絶えました。 近年、舟運の復活を強く望む多くの声に後押しされ、観光資源として船運を復活させる動きが始まりました。そして、約3年に及ぶ産官連携による試行事業を通じて、安全面等の様々な課題を克服し、明治維新150年の節目の年にあたる2018年、約70年ぶりに「びわ湖疏水船」として復活運航を果たしました。春秋限定で、大津と京都・蹴上をつなぐ船旅は、通算乗船率90%を超えるほど大人気。2020年には、琵琶湖疏水が日本遺産に認定され、京都だけでなく日本全体の近代化を伝える琵琶湖疏水建設のストーリーとともに、琵琶湖疏水の魅力を発信する「びわ湖疏水船」事業は高い評価を受けています。

寄付によって実現する未来

この「びわ湖疏水船」について、滋賀県側の乗下船場を現在の三井寺周辺から琵琶湖・大津港へと移す「航路延伸プロジェクト」が現在進行しています。このプロジェクトが実現すると、「びわ湖疏水船」の魅力が3つの点で高まります。 まずは、なんといっても、母なる湖・琵琶湖の存在。上り便では、幅の狭い疏水から琵琶湖に進むと、突如として広大な湖上の景色が広がります。下り便では、琵琶湖から疏水に入るという明治期の物流の風景を疑似体験できます。 2つ目は、大津閘門の通過。閘門とは、水の高さを調整するための門のことで、大津閘門では、疏水と琵琶湖の水位差(約1m)を2つの門を使って調整しています。規模は異なりますが、スエズ運河やパナマ運河と同じ手法です。この閘門を船で通過することで体感できる水位の変化は、まさにアトラクション。 3つ目は、琵琶湖観光との連動。琵琶湖を周遊する大型クルーズ船や琵琶湖一周サイクリング(通称ビワイチ)等の魅力とワンストップでつながります。 このプロジェクト実現のため、手動式の設備が老朽化している「大津閘門」を電動化する工事を現在行っており、今後、びわ湖疏水船の新船建造や大津港における乗下船場の整備などが必要になってまいります。このプロジェクトに、ぜひ、ご支援をお願いいたします! 明治期の先人たちが京都の未来のために切り拓いた夢の水路(みち)、琵琶湖疏水を辿る「びわ湖疏水船」に乗船いただければ、風光明媚な景観を愉しみながら、その偉業の軌跡が心に刻まれることでしょう。その航路延伸実現を契機に、京都の近代化を成し遂げた琵琶湖疏水のロマンあふれるストーリーを、国内外の多くの方々に伝えてまいります。

現在の寄付額
2,000,000
目標金額:10,000,000
※目標金額を達成すると自動で募集終了となります
寄付件数
1
募集終了日
2025/03/31
SDGs目標
sdg-4sdg-6sdg-8sdg-9sdg-11sdg-17