京都を130年に亘って支えてきた琵琶湖疏水を、次の100年につなげたい
2023-03-23 09:30:00
水路

「京都と琵琶湖と未来をつなぐ~日本遺産・琵琶湖疏水 観光船延伸プロジェクト~」応援インタビュー 梅林秀行さん

現地を歩くフィールドワークを通して、その土地のもつ特徴を感じながら歴史をひもとく梅林秀行さん。
京都高低差崖会崖長として、高低差や凸凹(でこぼこ)に注目した解説はテレビや著書でも知られ、京都ノートルダム女子大学非常勤講師としても活躍中です。起伏や凸凹といった地形の変化には、何かしら背景やストーリーがあるという梅林さんに、琵琶湖疏水の魅力、そして、びわ湖疏水船の大津港延伸プロジェクトについて聞きました。
人

土地と調和させて切り拓いた、人々の足跡を感じる

何度も琵琶湖疏水を訪れた経験のある梅林さんにその魅力をたずねると、凸凹に対峙した当時の人々への想いをあげてくれました。

「琵琶湖疏水は地形や風景を切り拓きながら水路がのびています。滋賀県の琵琶湖から京都への途中に東山がありますが、琵琶湖疏水はこの地形を人間のテクノロジーで克服、調和させました。何百万年かけてできた山や盆地を、130年前の人々がどうやって切り拓いていったかを考えると、技術と自然環境、両方の目線が見えます」。

琵琶湖疏水には2キロ以上も続くまっすぐなトンネルがあったと思えば、緩やかなカーブが続く場所も。さらに蹴上にあるインクラインといった建造物もあります。「それらはすべて、人々が地形の変化に対応したからこそ生まれたものなんです」

美を織り交ぜた土木工事。明治時代の試行錯誤が生んだ景色

梅林さんがフィールドワークの際、地形のほかに注目するポイントに建築があります。

「私たちが見ているまちの風景は半分以上建築でできています。琵琶湖疏水には、明治時代ならではの建造物に対する強烈な美意識があふれています。古代ローマや中世ドイツのような、歴史的な美しさのある建物を造りたいという時代だったんです」。

そのことを感じられるのが、トンネルのデザインだそう。「田邉朔郎(工事主任の土木技師)たちは、 “美術をやろう”という変わった表現を残しています。単なる土木工事ではないんですね。ですからトンネルの出入り口のデザインは一つひとつ違います。

ドイツ、スイス、アメリカにある運河のトンネルをコピーしたんです。日本がまだ“自分”を見出せぬまま、西洋を丸ごと運び込んだのが琵琶湖疏水だと言えると思います」

土木工事としてだけではなく、西洋の美意識を織り交ぜて完成した琵琶湖疏水。
このことは、今では観光客に人気となった風景からも見て取れます。「南禅寺の境内にある水路閣。お寺の境内に、あたかも古代ローマのような水道橋を持ち込んでいる。いま考えると、チグハグにも感じるけれど、それがまさに明治という時代。“近代”をまちの外側から内側に運び込もうとして、試行錯誤していたことが伝わってきますね」
水路閣

“いまの京都”の原点であり、まちを仕上げた画期

さらに琵琶湖疏水の建設が“いまの京都”につながる画期であったと梅林さん。インクラインに立つと、それを感じることができるそう。

「眼下に京都の市街地が広がっているのを見ると、“いまの京都”の原点が琵琶湖疏水なんだと実感します。京都は1200年の歴史があると言いますが、決して一直線ではなく、途中に幾度もの画期がある。

最初の画期は平安京の造営、その次はまちを大きくつくりかえた豊臣秀吉の登場、そして三番目の画期が琵琶湖疏水。近代という文明が外からやってきて京都盆地に流れ込んだ。琵琶湖疏水はそのことをいまに伝えています」。

レンガ造りの橋、トンネル、コンクリートの建造物、美しい宮殿のようなポンプ室など。琵琶湖疏水には、西洋からもたらされた最先端の技術や美しい様式が取り入れられています。琵琶湖の水とともに、これらに象徴される新しい時代が京都にやってきたことを、明治の人々も感じていたことでしょう。

そしてその水は、灌漑、防火、水力発電、舟運などで、京都のまちを潤しましたが、それだけではありません。
「琵琶湖疏水は、まちをつくる要素も運び込み、まちを仕上げていったのだと思います。散歩道として人気の哲学の道があるのも琵琶湖疏水沿いですし、フォトスポットして多くの人が訪れる祇園の巽橋がかかる白川にも琵琶湖疏水の水が流れ込んでいます。京都の隅々にまで、疏水は行き渡り、近代の京都をつくりあげました」
建造物

現役の産業基盤として、使いながら未来へ引き継ぐ

地形と歴史を複合的に体感できる琵琶湖疏水。びわ湖疏水船に乗ってみると、琵琶湖疏水を建設した人々の目線から、よりその魅力が感じられます。

「例えば、山科のあたりの疏水が蛇行しているところの緩やかなカーブ。ポンプの動力を使わずに水を流していますから、自然の勾配を読みながら水が流れ落ちるように、等高線の形にそって水路が設定されているんです。このことが船に乗ると体感できます。トンネルの出入り口の装飾も船からよく見えますよ」と梅林さん。

さらに、びわ湖疏水船のルートが大津港まで延伸すれば、琵琶湖疏水の本来の姿、つまり琵琶湖・大津というまちと京都をつなぐ水路であったことが再確認できると言います。「大津は、平安京に付属した外港の一つで、江戸時代までは日本有数の経済都市でした。京都とのつながりのなかで、二つのまちの歴史が共鳴していけるといいと思います」

そして、琵琶湖疏水が 現役のインフラであることにも注目してほしいとも。
「インフラは、使われるためにできたものですから、役割通りに使いながら産業遺産としても残すことが一番だと思います。琵琶湖疏水は役割を持って現在も稼働している産業遺産の貴重な事例です。明治23年に完成して、約130年間京都を動かし続けてきた、現役のインフラ・産業基盤で、今後の京都も動かし続ける“未来”の存在でもある。そんな琵琶湖疏水を、次の100年につなげていきたいですね」
梅林秀行さん